自分の個展を開催するとか、普段の作品作りとか、いつもこんな風に考えています。
これで正しいという自信はありませんが、一つの考え方として参考になれば。 2001.3.13 奥 勝浩


写真展にむけて
 FCPC写真教室では年に一度、全員での写真展を開催しています。2001年は5月17日からアジア美術館8階交流ギャラリーで開催します。写真展では毎日多くの方が世代や国籍を超えて来場され教室の中や親しい友人達から得られるものとはまた違った感想や意見を頂くことができます。
 もちろんその感想等の中には自分の作品に対して批判的なものもありますが、それが理にかなったものであれば冷静に受け止め次の課題とすればいいし、それよりも今までまったく知らなかった人が自分の作品を見て何かを感じてくれて、作品を通じて人と感覚を共有できたときの喜びは替え難いものがあるでしょう。

作品を見せること
 「作品」とか「美術館で作品展」というと、何やらすごいことに思えてきて意気込んでしまい、今まで撮ったこともないようなものに新たに挑戦しようとする人がいます。ほとんどの場合、それは失敗に終わるようです。人を感動させられるものがそんなに簡単に短期間に撮れるものではありませんし、時間をかけて本当に考えて撮られたものではない写真は、見ればそれとわかります。
 先日のCコースの写真集展示でもみられたように、テーマとなり得るものは身近なところに沢山あります。その被写体を何度も撮ったことのあるもの、それについて本当に興味があってよく知っているものこそが、自分にとって無理がなく本当によいものが撮れるでしょう。「美術館でみんなをあっと驚かせてやろう」などと考えるべきではなく、自分が興味をもっているものに素直にレンズを向け撮ったものをなるべく沢山の人に見せていろんな意見、感想をもらいまた撮影していけばより良くなると思います。
 事前にみんなで集まった時に恥ずかしがって「見せるものがない」という人もおられます。とにかく何でもいいから今撮っているものを見せないと、それが良いのかどうなのかすらわからず何も変わらない、前に進めないだけです。
事前の作品検討会の目的は、そこで良し悪しの判断を下すことではなく、より良くするにはどうすればいいかをみんなで考えて、いろんな人からアドバイスや意見をもらうことです。
「作品検討会」という言葉にはすごく重たい響きもありますが、これは他に言い表しようがないから使っているだけで、そんなに重苦しい雰囲気のものではありません。いつもの教室のみなさんが、他の人の知恵と経験を借りて自分の写真を良くしていこうとわいわい集まっているだけです。ぜひ早い時期からくり返しご参加ください。(作品検討会の日程は3/16頃全員に郵送します)

自分の好きなもの、テーマ、目的を持った撮影
 具体的に「何を撮ればいいのか?」というところで悩む方もおられるでしょう。その答えの一つは、今までに撮った写真のファイルのなかにあると言ってもいいと思います。
 Bコースの後半で行うことですが、自分は何に興味を持って写真を撮っているのかを自分自身で見つけるために、過去に撮った写真をすべてファイルやアルバムから出して、すべてを床一面に広げて見てみるというのがあります。
最初はいろんな被写体、ばらばらの季節等がそこにあるのを感じますが、ずっと一同に眺めていると、例えば撮った場所は違うけど建物の写真が多いとか、子供の写真が多いとか、また建物や風景なんだけど色鮮やかなものを多く撮っているとか、古びた雰囲気のものをどこに行っても撮っているとか、何か共通した被写体や雰囲気、要素にグループ分けできると思います。
次にそれらを各グループごとに集めて並べ変えるといくつかの大きなグループができることでしょう。そのグループのなかで一番大きなもの、それが自分が一番関心をもっているものだといえないでしょうか、なぜなら自分では気がつかなくても最も多くレンズを向けているモノやことがらですから。そのなかでどれか一つに今回は集中して撮ってみようと決めれば、それが自分にとって一番無理のない自然なテーマとなるでしょう。

エッセンスを凝縮する
 自分が好きなもの、興味を持っているモノやことがらをただ単に撮っただけで、その写真が見た人に何かを感じさせることができるでしょうか? 
例えば、ある方が自身の個展や写真集の中で作品として発表した風景写真と、自分もその場所に行ったことがあり記念のスナップとして撮ったことのある写真とで、どちらが強く感じるものがあるでしょうか? 同じ風景なのにその違いとはなんでしょうか?
その違いというのは、自分が感じたものがその写真の中にいかに凝縮されていかどうか、その違いと言えるでしょう。
 写真に限らず普段の生活の中でも自分が思っていることや感じていることが伝えたい相手に100%伝わらず、やきもきしたり誤解を生じたりするのは良くあることです。自分が100思っていても、相手に伝わるのは10や20ぐらいだったりします。私達が相手に何かを伝えようとするときは、身ぶり手ぶりや表情なども総動員しています。それでも相手に100%伝えようとするのは難しいことです。
写真は平面物で言葉も音もありません。だとすれば自分が感じたものや伝えたいことを100どころか200にも300にも凝縮して高めておかないとなかなか相手には伝わらないのです。
例えば、先の風景の例で言うと、誰かの作品として感動した風景写真には電線や前を走っている車などは写っているでしょうか? おそらく注意深く排除してあることでしょう。感じたものやことがらのエッセンスを凝縮するとは、言い換えると余分なものは排除するということでもあります。
一方あなたが撮った同じ場所の写真はどうでしょう? 電線、目障りな看板や人の群れなどは入っていませんか、そしてその風景を撮るのに一番良い時間帯と日ざし、季節で撮られていますか? そういった違いが、ただのスナップ写真と作品と呼べる写真との違いとして見る者に感動を与えるか、伝わるか伝わらないかの違いとなってくるのです。
そしてそういった写真を撮るには、当然の事として、撮った写真を見て、考えて、また誰かに見せて感想を聞いて、また考えて撮るといった作業は必要となってくるでしょう。最初は、他人はこんなにも自分とは違った見方をするものか、と驚かれることでしょう。しかし何度もそれをくり返していけばしだいに自分が感じたものと相手も感じるものとのずれは小さくなってきます。それをくり返していけばきっと1枚の写真で他人にも何かを伝えることのできる「作品」とよべるものができるでしょう。そこを考えるのに、写真教室という人の集まりを利用しない手はないと思います。きっと「自分も似たようなものを撮ったことがあって、その時はこうした」とか、「そういうふうにしたいのなら、こうやってみたら?」とかいう、自分一人では考えきれなかった貴重な意見やヒントが得られることと思います。

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