こちらでは教室掲示板の書き込みを保存しています。


写真の歴史、表現の移り変わりについてのミーティングに関して。2004年2月18日より

------------------------------------------------------------------------
さきほどまで・・ 名前: 奥 勝浩 [2004/02/18,23:15:59] No.1237 返信
 今夜は作品ミーティングで、10名程の方が集まり、それぞれの方が最近撮っているものを見せてくれたり、過去の作品展のCD-ROMをモニターで見たり、ネガを反転させてみたり・・といろいろと有意義な時間でした。
その中で話もいろんな方向に及び、
過去の写真の歴史、表現の移り変わりなどのお話も少ししました。僕なりに考えているのは、もし本当に自分の表現活動を続けていって写真家とか作家として認められたいのならば、自分がやろうとしていることがすでに歴史の中でやりつくされたことなのかどうか? あるいは過去から現在までの表現の移り変わりの大きな流れに沿っているのか、そのベクトルの向かう方向にあるのか、あるいはまったくはずれてしまっているのか?そういうことを考えることも必要ではないか、ということです。
今まで個人的にお話したことはありましたが、教室のすべての方がそういう話に興味かあるわけではないので大勢の前で話したことはなかったのですが、おそらく今夜初めてお話ししました。
そういったことも考えた上で自分と自分の作品を自分でプロデュースし、作品と社会とを繋いで行く行為も作家として活動していく上では必要ではないかと思っています。だれも自分のことをプロデュースしてくれはしませんし、「いいものさえ撮っていればいつかきっとだれかに認められて・・」というのはシンデレラのお話で、今の社会ではほとんど幻想でしょう。
今夜も話したのですがこういったお話は興味のある方だけを対象にした別の集まりを持った方がいいんじゃないかと思っています、もし必要ならば。
さて、みなさん興味はありますか??

>> あります、大いに!! 名前: f13Urataki [2004/02/19,13:57:14] No.1239
なんだか最近よくこの掲示板に出没しているウラタキです・・・(^^ゞ
技術面の研鑚、これも大切なことでしょうが、果たしてそれだけで良いのかな?と時折首を傾げたくなる時があります。自分の作風とはと不安になることも多いのですが、それ以前に著名な写真家の名を知るだけの「知識」ではなく、著名な写真家が何をもって世に出ることが出来たのか、写真のみならず、その時代における美学とはどのようなものだったのかということを紐解くこともこれから作品を作るための勉強の一つとも思えます。
ただ、写真家の特集を取り上げたTV番組や書籍などで個人が学習するにはやはり限界がありますので、もしそのような場が設けられるのであれば、ぜひ参加したいです。
ところで先生、一つ文中で気になることが。
過去からこれまでの間、表現のベクトルの方向から逸れてしまった写真家というのはいらっしゃるのでしょうか?それと、ベクトルから逸れるということをやや否定的に私はとらえましたが(芸術に否定は存在し得ないと思いますが)、先生としてはそれは肯定できることですか?否定されることですか?

>> これはまったくの私見ですが・・ 名前: 奥 勝浩 [2004/02/19,19:54:49] No.1241
絵画にとってかわって外界の忠実な描写に始まった写真術も、その後知らない場所を見せてくれる道具、世の中の出来事を正しく伝えそれがまた正義だとするドキュメンタリー、そして決して正義ではなくても大それた事件ではなくても自分の身のまわりで起きたこと感じたことのプライベートドキュメント、そして既にある外界を撮るだけでなく撮影状況までも作ってしまうコンストラクテッドフォト、そしてインスタレーションなどの現代美術とのボーダーレス化・・などと(ものすごい大雑把な要約ですけど(笑))と変遷をとげつつ進んでいます。そのベクトルとは違う方向を向いてしまった写真家は、極めて得意な表現でもない限り写真史に残らなかったのではないでしょうか。そういう写真家も居たでしょう。ただ周りはそれを写真家だと認めていなかったり、歴史から忘れられていったのではないでしょうか。
またその大きなベクトルから外れることは、趣味の世界ならば肯定も否定もないのですが(まれに趣味が後年認められるということもありますけど(笑))、今の世の中に生きていて、自分が生きている間に写真家として認められようとするならば、それは否定というか、はずれてしまってはいけないのではないか、更にはそのベクトルの先をにらんで自らが作っていかなくてはいけないのではないかと思います。
あ〜ややこしいねぇ・・・(笑)

>> 是非、参加したいです。 名前: 新C ogiwara [2004/02/20,01:23:01] No.1243
私はよく先生に個人的にメールや直接お会いしたりして、写真家や表現するということについて伺ったり、自分が写真を撮る上で迷っている事等についてアドバイスを頂いたりしています。いつも真摯に質問に答えて下さり、直に奥先生語録ができるのではないかという程ですが、やはりそういう事に興味をお持ちの皆さんが、何をどういう風に考えているのかを知る機会があればいいなと思います。例えば、このスレでも浦瀧さんや先生は写真家としてベクトルに沿うというお話をされていますが、私は写真の芸術性や技術に於ける変遷、*革新こそがベクトルの方向を決めるのではないかと思います。つまり、その瞬間に於けるベクトルから逸れたとしても、認められればそれ自体がベクトルの方向になり得るのではないかと考えます。*前述の革新という言葉は逸脱とは必ずしも同意義にはなりえないかもしれませんが、革新というからにはやはり全く新しいものになるという意味だと考えています。私のこの考え方は正しいものかもしれず、若しくは全く見当はずれなものかもしれません。しかし、人の意見を聞き、自分の意見を述べなければ、それが正しいのか間違いなのかの判断材料も手に入りにくいと思います。
ですから、そういう場が設けられるのなら私も是非参加したいです。

>> 革新が新しい地平を開く 名前: 奥 勝浩 [2004/02/20,17:38:18] No.1244
う〜む、なんだか難しい話になってきたぞ・・(笑)
ogiwaraさんの言われることも正しいだろうと思います。
また、書いていた、ベクトルに沿う、との意味は、表現の大きな流れが(おそらく)進むであろう方向と同じ方向をむいているか、との意味です。それを辿るとかくり返すとかの意味ではないつもりです。
 革新というのも表現上の革新、技術・技法上の革新とか、社会における「写真」の位置付けの革新・・などいろいろあるでしょうが、いずれもかつてなかったからこそ革新足りうるわけで、それが進歩・進化の道を切り開いていくのでしょう。それを振り返ってみれば過去の変遷になるんじゃないでしょうか。なんだか言葉遊びみたいですが(笑) 新しいものは最初はいつでも異端です。でもだれもついてこない、いいと認めてくれる人がいないのでは、ただ変なだけです(笑) 逆に考えると「この手の」とか「**風」などと言われるものは、過去にとっくにあるわけで、「こんなもの見たことないけど、良い」と言われるものを作りつづけないといけないのではと思います。
時々いる、「**に似ているから自分のもの(作品)は、間違っていない」などと、とんでもない勘違いをしたり、誰かのスタイルだけを真似て安心するようなことではだめでしょう。
自分でもよく考えるのですが、作品が「**に似ている」と言われるのは、オリジナリティーが無いと言われているのと同じで、恥ずかしいことだと思います。でもそれを言う人は多くの場合、褒め言葉のつもりで言ってくれたりするんですけどね・・(笑)


>> Pioneer 名前: 新C ogiwara [2004/02/21,02:14:49] No.1246
いいですね、新しい地平。新しい地平が拓かれる時は私も開拓者でいたいです。
開拓者になれないとしても、せめて多くの写真家の方々が切り開かれた土壌を耕し、種蒔く人にはなりたいです。自分で土壌を選び改良し、自分が選んだ種を蒔き育てる。土壌が種が育て方が違えば、そこにできるものは絶対に他とは違うものですから、とても楽しみです。ネットが驚異的に普及し、ケータイでTVが見られ、日常に画像が氾濫している昨今において、果たして「今までに無いもの」など見つかるのだろうか?そういう不安を覚えることもよくあります。しかし、全ては動く事から、シャッターを切る事から始まるのだと、先生、浦瀧さん、火野さんから重々言われ(笑)、自分が何をすべきなのかを再認識しました。こうして、アドバイスを下さる方がいるという事はとてもありがたい事だなーと思います。


>> 日野さんすみません。 名前: 新C ogiwara [2004/02/21,02:33:16] No.1248
先ほどの書き込みでお名前の漢字変換を間違えてしまいました。本当にすみません。


>> 伝えようとする気持の話しですね。 名前: 椎原 一久 [2004/02/22,01:19:13] No.1255
先ほど先生とお話しした新しいミーティングの件、私なりに、ない頭を絞って考えました。個人で考えているより同じ志を持つ方々のお話し、是非お聞きして見たいと思います。私は観念的なことしか申し上げられませんが、何かを伝えようとする自分の気持の増幅になるのではないかと期待しています。
その節は宜しくお願い致します。

>> 新ミーティング 名前: ヨシムラ [2004/02/22,11:08:23] No.1256
先日、日本戦後グラフィックデザインの変遷…というような講義を伺う機会があって、
写真でもこういうのがあるといいなあと考えていました。
個人的には写真についてだけでなく、美術史の流れの中で写真がどのような位置にあった(ある)のかを聞いたり話したりする機会になればと思います。
先の先生の投稿の「ただ変なだけです」のところ、ついおかしくて笑っちゃいましたが、
実はこれ、単なる異端で終わるか革新になり得るか、を考えるときの重要なポイントなのかも……

------------------------------------------------------------------------

本日はお疲れ様でした。 名前: F17 トゴウ [2004/02/21,00:19:32] No.1245 返信

本日作品集を仕上げた皆様、おめでとうございます。&お疲れ様でした。
お披露目が終わったあとのPARTYでの皆さんのすがすがしい顔を見て、私たちもこんなにすがすがしく3ヵ月後を迎えられるのか、と思いました。
何かを成し遂げるというのは、ステキなことですね。
ますます、創作意欲が沸いてきました。
なんせ、3冊も仕上げないといけなくなりそうですからね…(苦笑)
ところで、写真史や表現の変遷、私も大いに興味あります。
やっぱり、自分の作品はオリジナルでありたいし、人に受け入れられないものは、作品とは言い難いところもあるでしょうし…
自分のオリジナルを見つけるためにも是非やっていただきたいです!!

>> 3册作りますか??(笑) 名前: 奥 勝浩 [2004/02/21,12:34:23] No.1250
昨夜はまたまたすごい人数になってしまってすみません(どうすりゃいいんだろ??)
昨夜の13册の写真集の完成までには人それぞれいろんな製作過程がありました。
最初から着実に撮影をこなし着実にまとめていった方、途中で何回も内容が変った方、ほとんど作品を検討することもなしにいきなり最終日に貼り込んだ状態のものを持ってきた方(決して勧められませんが(笑))、誰かの一言のアドバイスで一気に内容が面白くなった方などなど・・。そのいずれもが、良くも悪くもその人の昨夜の時点での実力なのだと思います。ただ、ここしばらくの時期がそれぞれの方の集中力の、ある種のピークだったでしょう。それをいかに低下させないか、それがまた重要なことです。
写真集も一冊作って、はい終わり!ではありません。また違うテーマで作られてもいいし、また別の目標に向かわれてもいいでしょう。ただ、Aコースでカメラの持ち方を教わった頃から、写真集を完成させるまでの過程、自分が自分の知識と能力をどうやって磨いてきたか、その過程を覚えておいて欲しいなと思います。その過程、道程さえ覚えていれば、仮に写真以外の何かに挑戦されてもきっと役に立つことでしょう。
よく「一芸に秀でた人は何をやっても上手い」といわれるのは、この過程、自分の能力や技能を高める術や考え方を知っているからだろうと思います。

============== 以上

ウィンドウを閉じてお戻りください。